《だらけた日々》自分に喝を入れたい今日このごろ

最近どうも気分がだれているのか、日々やるべきことがキチンとできていない感があり、いけないなと思ってます。

私は毎日やることを最初にノートにリストアップすることでやるべきことを明確にして、それらをこなしていくのが習慣になっているんですが、そもそも「やることをリストアップする」という大元がキチンとできていない状態。

一応リストアップはしてみているのですが、「すべきことは何か」というタスクの洗い出しが適当になっているのです。

たとえば筋力維持のために自宅で簡単なエクササイズをする習慣があるのですが、その日すべきこととして「エクササイズする」とノートに書き出すことはしても、簡単なエクササイズを適当にやっておしまいにしてしまったり・・・

そもそも「エクササイズする」をタスクとして書き出すこと自体が惰性的になってしまって、何のためにエクササイズする必要があるのか、という根本的な目的を忘れてきているので熱意もないために適当になってしまう。

目的がキチンと意識できていれば、「エクササイズする」という大雑把な書き方をしていても、やるべきエクササイズができるのだけれども。

その根本的な目的が意識できなくなっているのです。

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やることの目的をはっきりさせる。毎日毎日しつこいくらいに。

私の場合、エクササイズでいえば、これを毎日やる目的は「できるだけ老化を遅らせてより良い人生の後半を生きるため」です。

筋力が維持できれば、生活習慣病の予防にも役立つだろうし、そうすれば仕事も長く続けられるだろうし、そうすればお金をためてこの先も海外の色々な場所を訪れて、その土地や社会の空気を体感することができる・・・

子供に迷惑をかけずに暮らすことができるだろうし、場合によっては子供が助けを必要とするような状態になったときにサポートさえできるかもしれない。

そういった夢があっての「エクササイズ」の必要性なのに、それが意識に上がってきていない。

エクササイズだけに限らず、毎日ノートに書き出すTo Doのリストのタスクはすべて、そんな自分の将来の夢、必ず叶えたい夢につながっているはずなのに、その意識がぼんやりとしてしまっているのです。

これではタスクを実行しても効果が薄くなってしまう可能性があるばかりか、昨日と同じタスクをそのままやればよいという、思考停止状態でいつの間にか無意味な習慣を続けることになりかねません。

何のために自分はこれをする必要があるのか。

これが未来のどんな夢につながっているのか。

明確にしないとです。

毎朝To Doリストを書き出す前に、5分でも10分でもいいから、まずは未来の目指す姿をイメージする。

そしてそのためには今日何をすべきか、という流れでTo Do書き出さないとです。

この思考時間は必ずしも朝でなくてよいとは思いますが。夜型なら、寝る前にそういった時間を作って、翌日にやるタスクを書き出すのでもよいと思います。

重要なのは目指す姿をイメージしていること。

でないと毎日が思考停止状態の機械的な習慣モードになってしまって、いつの間にか何もしないで人生が終わってしまいます。

そういう人生でも良い、という人もいるのかもしれませんが、少なくとも私は自分の人生を生きたいので、キチンと日々のタスクを検討してそれをこなして行きたいです。

ときには亀のようにノロノロとでもよいから黙々とこなして行こうと思います。

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