《充実した人生》大人ならではの大人げない経験をしてみたい

最近いつも考えていることがあります。

人生の年月って瞬く間に過ぎてゆくし、まだまだ人生は続くと信じていてもある日突然余命宣告される可能性だってある・・・

いざ死が目の前に迫っても冷静に騒がずに死を受け入れたいと思っていて、

そして冷静に騒がずに死を受け入れるには、自分の人生に納得感や満足感がないと無理なんじゃないかなと。

「振り返ったら何もやってこなかった」「私の人生、まだこれからなのに」という状況だと、自分の死を受け入れることができずかなり苦しむのではと。

下のページにも関連するのですが、人生の終わりには自身の達成感や納得感につながるような経験の記憶が必要なのだろうと思うのです。

目次

生涯の記憶に残るような貴重な経験を重ねる

当然のことながら平凡な日々の積み重ねで人生の基礎が出来上がっているわけなので、平凡な人生が悪いということを言っているわけでは決してありません。

でも今すぐ死ぬと想像したときに、自分の人生を振り返り良い記憶として思い出されるのは、平凡な日常から離れて思い切って挑戦したような経験の記憶が結構多いのかも。

そういった経験は、多分ですが大抵は意識しないとできないと思います。

時には状況に流されるままに経験したことが結果的に貴重な経験となって記憶されることもあるかもしれませんが、ほとんどは意識して計画して実行した経験なのではないかなと思います。

自分ならではのユニークな経験が必要

そしてそういった思い出に残るような貴重な経験の多くは、世間一般的な平凡なものよりも、個性あふれるユニークな経験であればあるほどより印象深いものとして残るはず

個人的に振り返っても、自分の人生で貴重な思い出というと一般的なものではないものが多いです。

ひとつ例をあげると、若いころに女友達と2人で10日間ほどアメリカでレンタカーを使ってキャンプしながら国立公園を巡ったことがあります。

こういった思い出は私にとって本当に忘れ得ぬスペシャルなものとなって残っています。

きっと死ぬときにはあのときの広大な風景、空気感、苦労、疲労感・・・などを最高に懐かしい良き記憶として思い出すと思います。

(一緒に過ごしてくれた友人に感謝です。)

ほんの一例ではありますが、こんな風に非日常的なもの、みんなが経験できるわけではないものは強く記憶に残ります。

大人ならではの大人げない経験を

前置きが長くなりましたが、以上のことから考えるに真面目に型にはまって生きてきたような人(私自身も含まれます)は、敢えてちょっと大人げないことを計画して実行してみたらいかがだろうと思うのです。

「大人げない」という表現をしたのは、別に人に迷惑をかけたり非常識なことをしたりしようという意味では勿論なくて、

子供脳になって本当にやってみたいことを自由に計画して、そして実行してみるという意味合いです。

真面目に生きていると平凡に埋没した日々になりがちです。

人生の終わりに「平凡で良かったな」と思って満足できる人なら良いのですが、もしそれで後悔しそうならちょっと大人げない発想で斬新なことをしてみたらよいのではと。

もう大人だから、親だから、会社員だから・・・などと真面目ぶっているうちに死ぬかもしれませんから。

ときどきは思い切り自己中になって何かを計画したらよいのではと。

意外性があって、自分自身でも「まさか自分がこれをやることは」と思ってしまうようなことが希少性があって面白いんではないかと思ったりします。

たとえば、家族のために日々頑張っているお父さんが突然有休をとって蒸発してエアーズロックを見にいくとか。(コロナ禍では非現実的な例ですが)

そういうと、そんなお金はないという現実的な問題にぶち当たりますが、今から貯蓄して2年後、3年後に実行でもよいと思います。

アレコレ計画してみる

心動かされるままに色々想像を膨らませて、何をしたら自分にとって貴重な経験となるのかを考えるのもたのしいです。

個人的には「これをして何の意味があるの?」って感じるようなことでも気にしなくて良いんじゃないかと思います。

一介の人間の人生なんて所詮は意味がないものなのですし。

多分ですが、真面目に型にはまって生きている人ほど型にはまったアイデアしか思いつかないのではないかと。(もちろん私も含め。)

大人げないマインドで、柔軟に、そして大真面目に真剣に大胆にアレコレ考えてみたいものです。

考え始めるとかなり楽しかったりします。

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