やっぱり歩き回らなきゃダメだ《50代》

先日、渋谷に立ち寄りました。本当に久しぶりに。

かれこれ2年以上ぶりに訪れたことになるはずです。

混雑する都内の街にはコロナが流行り出してからずっと立ち寄ることなく、都内といえば会社に通勤するだけといった日常を繰り返していたらいつの間にかそんなに時が経ってしまったのです。

渋谷だけではありません。

旅行にもぜんぜん行っていないし、なんだか失われた空白の数年間という気分。

でもよく考えてみると単純に失われた数年というわけでもない。

今まで予想もできなかったウィルスの脅威に世界中が震撼し大混乱するという、映画のストーリーにもなりそうな未曾有の体験を私たちはしたのです。

(いや、している最中か・・・もういい加減終わることを期待しているものの。)

この体験はちょっと海外旅行で刺激のある経験をしましたなんてどころではない強烈な体験。

ニューノーマルという新たな社会の転換地点。

もし自分と自分の周りの人達がこのコロナ禍に際してどうにか無事でやれているなら、こんな体験をしたことを良い意味で受け取るのもアリかもしれません。

私たちは稀有な体験をした。

決して立ち止まっていたわけではない。決して空白の数年ではない。

・・・話は冒頭にもどりますがそんなわけで久しぶりに渋谷を歩いてみました。

そしたら若者がいっぱいでした。(当たり前ですが。)

数年ぶりにみたその光景はなんだかまるで未知の街を訪れたかのように映り、

本当に若者たちが、そして若者たちのファッションが目にまぶしく鮮やかでした。

多分ずっと以前から渋谷には同じように若者達がいたはずですが、その当時は見慣れた光景だったので何とも思いもしませんでした。

それで思ったのです。

あー歩き回らないとだめだなと。

自分にとって未知の場所、不慣れな場所を意識的に訪れて、自分に刺激を与えないとなと。

自分にとって新鮮な場所、不慣れな場所に佇むと、見慣れない街の建物や広告や音や人々など自分の目に入るモノをとおして、勝手にアタマが色々感じたり考え出したりを始めます。

それはいつもの散歩コースとは違った新しい思いを生み出したりします。

そんな非日常から生み出される思いが意外と自分のその先の日々に変化を与えるきっかけになったりします。

久しぶりの渋谷でそんなことをあらためて感じました。

コロナが収束したらこの数年間のような守りの姿勢を見直してやっぱり意識的にどんどん歩き回らないとです。

私のようなシニア世代は特に。

どんどんアタマも固くなっていくわけですから。

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