一年・・・早いはずです。
一日一日が早すぎますから。
その日々が365日合わさってあっという間の一年です・・・
今年、何をするか?何をしたか?
今年はいったい何をするつもりか?
今年すでに何をしたか?
もし即答できなかったらもう少し自分のすべきことと自分の時間を意識したほうが良いかも。
一年があっという間なら一生もあっという間。
意識して生きるのとなんとなく生きるのとでは、多分ですが人生の終わり時点での納得感が変わってくると思うのです。
他人の歴史より自分の歴史
学生時代の歴史の科目では偉人が何かを成し遂げた年などをさんざん暗記したものです。
何百年も前の会ったことも話したことも無い人々にまつわることをコツコツと憶えました。
その一方で、自分の過去については漠然としか記憶していなかったりします。
たとえば、2年前、3年前、何をしていたかと問われたとき、すぐに答えられなかったり。
もちろん、そのときにたまたま印象的な環境の変化、たとえば入学や就職や結婚や転職などがあったりしたらはっきりと憶えているでしょうけれど。
もしそういった大きなイベントが特にない年なら、
「うーん・・・何をしたっけな?」
という感じになってしまいがちです。
これって「2日前何をたべましたか?」「3日前は何をたべましたか?」と問われても憶えていないというのと同じだと思うのです。
ふだん意識して食事しているわけではないから、なんとなくだから印象がないわけで。
数日前の食事は憶えていなくても問題ないけれど、自分が過去に何をしてきたかぐらいはすぐに答えられるぐらいには整理しておきたいです。
自分の過去ぐらいスラスラ言いたい。長くて100年だし。
「2019年はこんなことやあんなことををした一年だった。2020年はこんな風だった・・・。」
そんな風に、一年一年を思い出せるぐらいに人生を有意義なものにしたいものです。
せっかくの一生なのだし、長くても100年という限りある時間です。
せめて自分ぐらいは、自分自身が何年に何をしたか、何を頑張って、何を失敗して、そのときどう感じていたか、どんな風景を観たか、そんなことを記憶しておきたいです。
そんなふうに印象深い一年を積み上げていけば、人生が終わるときに多少は自分に納得できるのではないかなと思うのです。
時間は創るもの
時間というものは、いくらあっても取り留めもなく意識せずにすごせば何にも印象的なことは残らないです。
ですから時間は与えられるものではなくて、創っていくべきものという考え方が必要になります。
そうはいっても今までの人生、ずっと意識せず過ごしてきてしまったよ、という人もいるかもしれません。
たいていの人がそうだと思うし、私もそうなりがちです。
ただ日々をせわしなく忙しく生きてきただけでした。
もしそうなら今年からやってみればよいのです。
言語化できるレベルの一年に
「201x年は、○○と○○にチャレンジして頑張った。○○に行けた。○○を観れた。」
「201x年は、○○と○○をして、○○はうまくいかなかった。でもよい経験になった。」
などと言語化できるレベルの一年一年にしてゆく。
説明できる、といっても、別に誰に説明するわけでもないのですが。
しいていえば自分自身に説明できるように。
こんにちは
プロフィールは
トップページの中ほどに
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