人前で恥をかいたらこう考えてみる

先日、20代の知り合いが落ち込んだ表情・・・

どうしたのかと聞いてみたところ、

「その日の朝にミーティングでふいに偉い人に質問されしどろもどろになってしまい上手く回答できなかった。なんだか偉い人も呆れていたようだ。それで一日中落ち込んでいたのだ。」

ということでした。

・・・よくありがちな落ち込みエピソードです。

きっと偉い人は呆れただろう、周囲の人も心の中で笑っただろう、などと勝手に妄想が膨らんで頭の中が恥ずかしさと情けなさで一杯になってしまうという。

その日だけでなく、何日も引きずることもあれば、ときどき思い出しては何年も引きずることもあったり。

でも冷静に考えてみると、

その恥かいた出来事、そんなに引きずることですかね。

まず周囲の人は自分が想像するよりもそんなこと何とも思っていないですし。

そもそもその恥をかいた経験って、自分がいろいろ頑張って動いている中での一部の失敗です。

何もしない人生なら、恥をかいたと感じるような失敗も起きないわけで。

いろいろ頑張って動いているからなわけで。

言い替えると、人生をちゃんと頑張っているからなわけで。

そりゃ頑張っていればその中で失敗もあります。

当然、恥ずかしいと思うような失敗だって確率として必然的に一定割合生じます。

だから、恥をかいたー、と思ってしまったらその受け止めかたを変換してみたらよいです。

頑張ってる証拠だなあー

とか。

この調子でどんどん行こう!

みたいに。(笑)

なぜなら人生、頑張っているうちの一部は失敗するものです。

そしてその失敗の中のさらに一部には「恥ずかしい・・・」と思うような類のものも当然、含まれるでしょう。

だから恥ずかしい失敗が多ければ多いほど、それだけ魅力的な人生を送れている証拠です。

恥ずかしい失敗は勲章ぐらいに思ったほうがいいです。

恥ずかしい失敗をしたら、自分を褒めて労ってあげるぐらいしてあげて良いくらい。

冒頭の20代の知り合いだって、努力して就職活動して現在の会社に入社して、日々いろいろ働いているなかでの本日のミーティング出席。

絶え間なく動いているのです。

たまには恥ずかしい結果もあって当然。

逆に考えれば、恥ずかしい失敗をしない人生は動けていない人生だし。

そう考えると、むしろ恥ずかしい失敗という勲章をたくさんコレクションして密かに胸張りたくなってくる。

恥ずかしい失敗が人一倍多くある人は、自覚はないかもしれないけれど、動いた先の嬉しい経験も絶対に人一倍多く持てているに違いないんですから。

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