自由と自己規律の関係性について

自由に生きたいなー、と常々思っています。

せっかくの自分の人生なんだから。

50歳も過ぎたのだしもういい加減好きに生きても良いだろう、と思うのです。

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でも自由に生きるってことは、ものすごく難易度が高いとも思っています。

高度な自己管理がキチンとできない限り、決して自由には生きられないのではないかと。

目次

自由な人生を生きるには自己管理能力が必須

単純に考えると「自由」とは「自己管理」や「自己規律」なんていうような堅苦しいことの対局にあるように思えます。

でも実は「自由」とは、「自己管理」「自己規律」といったような能力や技術の有無に密接な関係があります。

たとえば企業に雇われて歯車の1つになる人生は嫌だという人がいたとして、それではと一念発起して一から起業するとします。

起業すればある意味すべて自分の裁量で仕事をすることができるようになります。

一日に2時間働いてあとは遊んでいたって文句を言う人はいないし、お昼過ぎに睡魔が襲ってきたら昼寝をしたって問題ない。

しかしただのんびりしているだけでは決して成果はでない。誰に命令されなくてもやるべきことはやらないと結果が出せないわけです。

自由にできる分、自分をしっかり管理して行かないと、たちどころに起業は失敗して生活に困窮することになるでしょう。

別の例としては、大好きな趣味があってそれに情熱をつぎ込みたい人がいるとします。

好きなことに存分に打ち込む、それは最高に自由なゼイタクです。

毎週日曜日は一日中その趣味のために過ごし、さらに月に一度は有休をとってその趣味に没頭しよう、と決めたとして。

毎週日曜日と月一の有休を趣味の時間とすると決めたなら、毎週土曜日はまとめて家事や雑事をしたり、有休取得のために計画的に前倒しで仕事をこなす必要がでてくるでしょう。

またそれだけ頻繁に趣味に時間をかけるには、コストもそれなりにかかります。

趣味にお金をかける分、別のモノに費用をかけることを諦めなければならないでしょうし、仕事に打ち込んで収入を維持したり、より収入UPのために努力したりもしていかなければな基本的な生活が成り立たなくなります。

好きに生きるには計画を立ててそれを実行していく高い能力が必要なのです。

無計画にラクして生きてる人には自由はない

逆に、時間に流されるまま無計画に生きていれば、自由はないといえます。

楽して生きていれば自由な感じに思えますよね。一見すると。

でもよく見てみると、そういった生き方の場合は、自由に使える時間やお金は基本的にほぼありません。

そういった生き方だと、自分が自分自身を管理していない代わりに、他の人にがんじがらめに管理される人生になります。

一番わかりやすい例は、子供です。

子供 は一見すると遊んでばかりでラクしているようで、自由に映ります。

でも実際はどうでしょうか。

子供 には好きに使えるお金や時間は基本的には無く、すべて親の裁量で生き方が計画され管理されているわけです。

ときどき親に「好きなものを買っていいよ」なんて言われたりもしますが、好きなものを買っていいかダメかの決定権さえも無いわけです。

自由なんて少しもありません。

これはちょっと極端で強引な例でしたが。

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ラクして生きないほうがいい

自由に自分の思うような人生を生きたいと願う人はとにかくラクしちゃダメだよ。といいたいです。

ラクするというのは罠です。短期的には快適かもしれないけど、長期的には自分の首を絞めます。

人生を虚しいものに、台無しにしてしまいます。

ラクを長く続ければ続けるほど、それに比例して自由が失われていきます。

注意してください。

これが真理だと思うのです。

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