自由に生きている人の特徴

世の中には自由に生きている人が少数ながらいます。

社会を自由自在に泳ぎ回っている人たちのことです。

国内だと希少な部類の人たちになります。

そんな人たちの特徴を憧れと尊敬を込めてまとめてみました。

目次

自由が無い人たちに「変わった人」と言われる

平凡な人たちの多くは、本当は自由な生き方をしたいと思っています。

しかし平凡な人たちはそれが実現できない人たち。

実現できないというか、まともに実現しようと突き詰めて考えたこともない人が大半です。

なぜ実現できないか、なぜ実現しようと考えたこともないかというと、幼少時代から人と足並みをそろえて過ごすことを良しとする教育を受けてきているからです。

人と違う行動をとることは「悪」という強烈な刷り込みが脳内にされてしまっているのです。

それは鎖につながれているわけではないのに自在に動き回ることをせず同じところで一生を終える象のようなもの。

そんな自由に生きていない人間にとってみれば、どんどんやりたいことを自由に追求している人間は奇異に映ります。

人と足並みをそろえて生きないなんて変な奴だなというわけです。

自由が無い人たちに足を引っ張られたり妬まれたりする

自由に動き回らない人たちは、自分自身のことを「常識に溢れた人」だと認識しています。

幼少時代から人と足並みをそろえて過ごすこと が「善」と刷り込みをされているから。

ですから自由に生きている人たちを見ると自分勝手な奴だとなります。

自由に生きている人が別に人に迷惑をかけているわけでもないのにです。

そして、自由に生きるなんてずるい、という風にも感じます。

自分だって自由に生きることに憧れているのに我慢して動き回らず人と足並みをそろえて平凡に生きているんだから、お前だけ勝手に動き回るのはずるいという理屈です。

そして自由に生きている人たちを無理やり自分と同じような、まるで鎖につながれているかのような生活に変えさせようとします。

メンタルが強靭である

日本では人からはみ出さない行動をすることを幼少のころから徹底して刷り込まれているので、自由に社会を泳ぎ回るような人は希少です。

割合でいったらゆるく言って感覚的に10%。

真に自由を実現している人は1%にも満たないでしょう。

そんな希少な、真に自由に行動する人たちはメンタルがめちゃ強いです。

自由が無い人たちにお説教されたり、変な奴だと後ろ指をさされたりしても心が折れません。

人の目や批判を気にするようなメンタルが弱めの人たちは、早々に自由を諦めて鎖につながれた象の世界に同化していきます。

常に知恵と工夫でオリジナリティを追求している

自由に動きまわる人たちは、自分の人生についていつも深く考えています。

短い人生の中で自分は何をしたいのか、何をすべきなのかを常に考えています。

自分のアタマで考え抜いた結果を行動に移しています。

自分自身で考えた結果としての行動なのでおのずと生き方が一般とは異なったオリジナルになっていきます。

考えるのをやめてしまったら、平凡な型どおりの生き方になってしまってそれは自分の望むところではないので、常に考えて軌道修正しながら、試行錯誤しながら生きています。

自由な人たちは、自由でいつづけるためには常に考え続け努力し続けることが必須であることを知っています。

努力といっても自由な人たちにとってはそれは自分のアタマで考え抜いてやりたいと思ったことに対するいわば前向きな努力なので、楽しいことであり挑戦です。

ちなみに。

残り90%の自由を追求しない人たちは、基本的に自分のアタマで考え抜いて行動する習慣がないので、努力とは人から指示されたことや、やらざるを得ないといった受け身なことに対してするものだととらえています。

ですから努力は苦労と同義であり面倒なこととしか感じません。

そんなわけで、両者はまったく異なるタイプであり会話が成り立たないことが多いです。

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