世の中には、有名人や、運動選手として成功している人がいます。
そこまででなくても、自分の周囲にも、一流大学や一流企業に入って輝いているように見えたり、起業して成功しているような人達がいます。
仕事以外でも、趣味で他の人よりも抜きんでていたり、センスが抜群に良くて素敵に見えたりする人もいます。
そういう人たちに対して、運があったんだよね、とか、才能があるんだよね、とか考えて、まるでラッキーな人のように言う人たちがいます。
でも、本当にそうなのかなと考えています。
もちろん、少しの運や才能も関係はしているはずです。
しかし運や才能は本当に小さなことであり、大半は意識や努力の量の違いです。
抜きんでている人がいれば、その人の「普通」の感覚は一般人とは異なっています。
その抜きんでている部分に対する意識が、普通の人たちとは段違いなのです。
そして意識が違うので努力の量も桁違いなのです。
普通の人たちの3倍とか5倍とか10倍とか100倍とかの努力をして、それが普通で当然だと思っています。
だから他の人と違う結果を出すことが出来ているのです。
過去を振り返ると、私にもささやかですがそんな経験があります。
学生のころ、レポートを提出する宿題が多かった時期がありました。当時、私はレポートの評価が良くて、先生からもクオリティが高いレポートがよく書けるねと褒められていました。でも当たり前なのです。理由は簡単で、ものすごく時間をかけてレポートを作成していたからです。具体的には、おそらくですが他の生徒の3倍~4倍の時間をかけていたのかもしれません。絶対に高評価を取るという意識のもとでレポート作成に情熱を注いでいたわけです。確実に周囲の生徒よりも努力の量が違ったので、良い結果を出せていたのです。
他の人よりも抜きんでている状態のときは、そのことに対して意識レベルが違うし、努力量も違う。
でも、「外目には」その努力とか意識の差って分からないので、「才能」とか「運」とかいった安易な発想になってしまいます。
ところで、抜きんでているとまではいかなくても、周囲の人のほうが良く見えてしまうことがありますよね。
「隣の芝生は青い」と言いますけど、その芝生が青く見えるとしたら、「青く見えるけど近づいてみてみたら大して青くなかった」のか、または「本当に青いけど、それは大量の努力の結果だった」のかどちらかですね。
もし自分の芝生より確実に青いなら、自分より確実に努力をしていると考えてよいです。
見た目には分からないけど、実は努力をしている(または、努力をしてきた)のです。
これは社会の中の色々なところに当てはまると思います。
たとえば、今の時代は企業内でも正社員だったり、契約社員だったり、派遣社員だったり、色々な働き方の人がいます。
そして派遣社員にとっては、正社員が待遇が良くていいなと思うことがあるかもしれません。同じ仕事しているのに待遇が違ってずるいと思うこともあるかもしれません。
でも実は正社員は派遣社員には要求されない成果を求められていて、そして過去にも求められてきて、実際に結果を出しているから正社員でいられるのです。責任量も違います。
正社員同士なら、平社員とマネージャーも同じです。マネージャーはマネージャーなりの、平社員には要求されない成果を求められていて、そして過去にも求められてきて、結果を出している。責任量も違う。意識と努力の量が違うからマネージャーでいられるのです。
でも「外目には」その努力はみえないものなので、単に楽してそのポジションにいると勘違いしてしてしまいます。
でも実は、過去や現在の努力量がぜんぜん違うのです。
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