それは本当に「苦労」なの?捉え方で仕事も人生も景色が変わってゆく

先日知り合いと話しているときにどうも違和感があるなあと感じたことがありました。

その人との会話の中で私の仕事の話をしていたのですが、相手が私の仕事に対して以下のような表現をしたのです。

「(職場環境が独特なので)苦労してきたよね・・・。でも頑張っているよね。」

私を労ってくれているわけなのでその思いについては本当に有難いし気持ちが嬉しかったです。

でもどうも「苦労してきたよね」に少しだけ引っかかるなと。

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苦労という言葉がもつイメージ

確かに大変な時もあって山あり谷ありの仕事人生ではあるのだけれど、それって本当に「苦労」だったのか?と思ってしまったのです。

「苦労」って日常にありふれている表現ですが、

何となく自分では如何ともし難い辛い運命を背負ってじっと耐えるようなイメージ。

しかしながら私の仕事人生においては私はただ受け身ですごしていたわけではないのだよなと。

ひたすら耐え忍ぶだけの仕事をしてきたわけでないよなと。

なのでどちらかというと私にとっては「苦労してきた」というよりは、「挑戦してきた」といったほうがしっくりくるなと。

苦労は受動的、挑戦は能動的

先の言葉については以下のように言ってもらえたなら、もっともっと有難く労われた気持ちになったかもしれません。

(職場環境が独特なので)挑戦してきたよね、頑張ってるね。」

もちろん仕事はお遊びではないのですからいろいろ大変なことはあります。

乗り越えなければならない課題が次々にやってきます。

課題ひとつひとつが挑戦です。

うまく行くどころか無難にギリギリセーフで終えることが精いっぱいだったりなことがほとんどです。

失敗することもあります。

でも時には地道な努力や勇気の積み重ねが実を結んで良い成果が出せる時もあります。

でもそれって苦労ではありません。

能動的な言葉を使うように意識してみる

日常のなかで言葉の選び方を変えるだけで人生の景色がガラッと変わります。

使う言葉って人それぞれで偏りが多くて一種の癖のようになっているものが多いです。

もし受け身的な表現が多い場合には、それを能動的な表現に変換するだけでも随分と心持ちが変わってく

と思います。

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