運気低迷のときはこう考えよう《元気が出る解釈のしかた》

通勤帰りに混雑する駅を歩いていたら知らない人がぶつかってきて舌打ちまでされた・・・

たとえばそういうことがあると、怒りが込み上げてきたり、疲労感が増したりしてしまいます。

自分は普通に歩いているだけなのになぜそんな嫌な思いをしないといけないのかと、ストレスが溜まってしまいます。

生きているとそんな理不尽なことが突然やってくるものです。

それ以外にも、ちょっとした失敗をしてしまってツイてないなぁと落ち込むこともあるものです。

不思議なことに、ツイてない時期はとことんツイてなかったりします

そんな時期はバイオリズムが低迷しているとも表現されます。

目次

運気が下がっていると感じたらこう解釈する

私個人としては超現実的な人間です。

ですから占いとかもスピリチュアルも信じないし、宗教のたぐいにもまったく興味がないのです。

ですが、そんな私が勝手に厄落としと解釈しているものがあります。

それが冒頭で述べたような理不尽なことや失敗などのような、自分にとってイヤな出来事です。

たとえば知らない人が理不尽にぶつかってきたら「厄を落とせた。」と解釈しています。

そう思うと溜飲が下がるばかりか、ホッとさえします(笑)。

厄を小出しに放出していると考えてみる

そんなことが厄落としだなんていうのは解釈が強引すぎないかと思われる人もいるでしょう。

でも、人生、理不尽なことやツイていないことは必ずあります。

どんな大富豪でも、一国の主であっても必ずあるはずです。

多分ですが、人生レベルでいったらどんな人にもある程度一定確率でイヤなことは起こっているんだと思います。

仮に一人の人間が人生で遭遇するイヤなことの総量がだいたい決まっているなら、イヤなことを小出しに経験してしまったほうが、大きいものがドカンとくるよりましだと思います。

ですので、駅の人混みで人とぶつかってイラっとするぐらい、むしろウェルカムな厄落としです。

そういったレベルの小さい厄に遭遇したほうが身のためですから。

「絶好調」にならないようにバランスをとる

以前、高城剛さんがどこかに『「絶好調」にならないように気を付けている人は達人中の達人で、絶好調とは奈落に落ちるシグナルだと理解している。』といった風なことを書かれていました。

これはかなり的を得ていると真面目に思っています。

個人的にも、快調に飛ばしているときに限って大きなトラブルに巻き込まれたりした経験が何度かあるので。

ですので、多少、理不尽なことが起きても、ツイていないことが続いても、それを良しとする。

厄落としと解釈してしまうのです。

そして理不尽なことやイヤな態度をとられた相手に対しても、文句を言ったり喧嘩したりせず気持ちをおさめてしまう。

ちょっとしたことなら「相手の非」ではなく「自分の非」ということで済ませてしまう。

それで運と不運のバランスをとっていくのが良いと思います。

私は本当にスピリチュアルなことなどは信じないタチなのですが、これだけは意識してます。

そうすると日常のストレスフルな出来事が自分の中では厄落としに分類され、結果的に日常のイライラが格段に減ってしまいます

一石二鳥です。

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