足るを知る、で本当に良いのか?

足るを知る、という言葉があります。

私の好きな言葉のひとつでもあります。

でもこの言葉、単純に何に対しても適用するのは良くないなと思ってしまいました。

たとえば、人の恵まれた立場や状況を羨んでしまうときがあります。

その人と比べて自分の身はなんて恵まれていないのだろうなどと感じてしまう時があります。

そんな時、足るを知る、という言葉を思い出せば、他人に向けられていた視線を自分に向けることができ、自分の持っているものを再認識することができて、人を羨む気持ちがおさまったりします。

こういうケースでの足るを知るは良いとして。

その一方でたとえば、アレしてみたいコレしてみたいと自分の中に色んな夢や欲望が湧き上がっている状態のときがあります。

そんな時にも、足るを知る、を持ち出して欲を抑えてしまうなんてことがあったりします。

いやいや贅沢すぎる考えはやめよう、などと思ってです。

それってどうなのかなと。

それって現状維持を良しとする思考になってしまうよなと。

現状維持を良しとしてしまうと、人生はその途端に守りの姿勢に入ってしまいます。

守りの姿勢とは、要するに現役を引退した姿勢ということです。

そこを目指すのか?ということになってしまいます。

夢が膨らんでアレしてみたいコレしてみたいと色んな欲が湧き上がるときは、自分にエネルギーが溢れている時です。

そんな状態のときに湧き上がったせっかくの夢を単純に抑えこむのは勿体ないです。

大事なのは、やってみたいことが人生レベルで俯瞰してみたときに、自分にとって有意義なことなのかということかと。

自分にとって注力したい夢ではなくて気まぐれな欲望なら、時間やお金を他のものに投入したほうがよいので、やめるという選択をしたほうがよいことが多いです。

それでも中には、そういった気まぐれな欲望のために敢えて時間やお金を使うことを自分に許してもよいかもしれないです。

それが、仕事を頑張るとか、何かを頑張るための原動力になることもありますし。

または、自分の視野や発想を広げてくれるきっかけになるかもしれなかったりします。

そうすると、それによって生き方が守りの姿勢でなくて勢いがついてきます。

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